なぜ今、写真集が必要なのか

memory 写真集

お宅にある沢山の写真は
元気なうちに「家族写真集」にまとめること
推奨しています

それは私の主人が母を亡くした時の経験があったからです。

「病人」になる日は、突然やってくるのです。

主人の経験談をつづらせていただきます。

 

母が胃がんに

昔から私と母は
深夜まで二人で話をしたり、
買い物にも一緒に行ったりと、
とても仲の良い親子でした。

大学・就職で実家を離れてしまいましたが、
会社帰りによく電話をし、
一緒に旅行に行くこともありました。

 

しかしある時、
母から病院に行ったら胃がんが見つかったと電話がありました。

家族全員、目の前が真っ暗になったのを覚えています。

そこから母の胃がんとの闘病生活が始まりました。

 

私も胃がん治療について母と一緒に悩み、
可能な限り飛行機に乗って会いに行きました。

 

私も色々文献をあたり調べますが、
発見が遅く既にステージもかなり進んでいたこともあり、
厳しい状況であることを理解しました。

 

最初のがん発見から3年後に再発。
がんの再発は
「死の宣告」と言われるほど重いことです。

ここからは完治を目指すことは諦め、
抗がん剤で「延命」を目的とした治療となりました。

 

闘病と人生の振り返り

再発してしばらく経った頃、
がんが体のあちこちに転移しました。

母も家族も、
少しずつ前向きに頑張る気持ちと
諦める気持ちが混じっていきます。

そうなると、
今のうちに昔の思い出を聞いておきたいと思うようになりましたが…。

 

闘病を頑張っている母に対して
終末に向かっていることを告げるようで、
言い出せませんでした。

 

そんな状況だったので、
「僕が通っていた小学校を見に行きたい」
ということを言い訳にして、

昔家族で住んでいたアパートに
母を連れて行ってあげました。

 

すると母は、
名残惜しそうに長く住んでいた部屋の玄関ドアに手をあて、
涙を流していました。

もうこれがここに来る最後だと考えていたのでしょう。

 

冗談っぽく、
母の年表を作ってあげるよと提案してみましたが、
「要らない、要らない。ほんとやめて。」
と言われました。

病気になってからの終活は
「死」を連想させてしまいます。

思い出を振り返ったりできるのは
元気なうちではないと難しい
とその時実感しました。

 

母の死

結局、母は再発から2年後、
5年の闘病生活の末に亡くなってしまいました。


痛みに耐え、本当によく頑張ったと思います。

残された私は
最期を看取ったあとが辛くて辛くて
どうしようもありませんでした。

 

もっと色んなことを話したかった、とか。
もっと色んな所に連れて行ってあげたかった、とか。

 

ふとした瞬間に色んな後悔が浮かびます。
起きているのに夢の中にいるような、
現実感のない感覚に陥ることさえあったのです。

 

お葬式には親族も来てくれましたが、
ぼんやりと思い出話がちらほら出るだけで、
あまり母の話をすることができませんでした。

 

今考えてみれば、
母の写真を持参して
それを見れる形にしておけばよかったと後悔しています。

母を偲んであげられる絶好の機会であり、
大切な人を亡くした者同士の心の傷を塞ぐ時間だったはずです。

 

私の心の傷

母の死後、
私も5年間母とともに闘病した反動からか、
激しい虚無感に襲われました。

生きているけれど夢の中にいるような感覚です。

仕事や私生活でも何だかしっくりこないことが増えていきました。

そして、なかなか心の傷は癒えず、
時間が過ぎていくばかり。

 

そこで思い付いたのが、
あの時母と一緒にできなかった「母の人生の振り返り」をやろう。

それが母の供養にもなり、私のためにもなる
と、母の思い出巡りの旅に出かけました。

 

昔住んでいた西ノ宮の街を訪ねました。
大規模な再開発が進められ、
住んでいた家はおろか、
ほとんどの街並みが新しくなっています。

 

そこに私たち家族が住んでいた頃の面影は
何もありませんでした。
写真に映っていた宿舎や公園、プールはもう完全に更地です。

 

思い出まで無くなってしまったようで、
私はその場に立ち尽くしてしまいました。

 

そこで私は、焦燥感にかられ、
母の人生を何か形にして残してあげなくては
と思い、写真整理することを決めました。

 

 

母の人生を探索

すぐさま、遠くに住む叔父の家に飛び、
母の写真を探してもらいました。

ですが、あったのは数枚の写真だけ。

 

それでも、叔父から、
母が小さい頃のエピソードや晩年のやり取りなどを
朝から日が暮れるまで思う存分話しました。

母を亡くした息子と、
妹を亡くした兄という、

数少ない母をよく知る人間同士、
お互いの寂しさを埋める本当に大切な時間
でした。

 

次に実家へ飛び写真を捜索すると、
闘病中に母が整理していたのか、
写真は一カ所にまとまっていました。

 

そこに、
古くて汚れた風呂敷に包まれたアルバムが数冊。

今までみたことのなかった母の幼い頃、
働いていた頃の写真がアルバムに収められていました。

 

パラパラとページをめくると、
自分の知らない母の姿がそこにあります。

 

学生時代の友人と満面の笑顔で。
職場の人たちと肩を組んでピースサイン。
父との結婚式、新婚旅行。
私が生まれてから大きくなるまで。

 

母の写真集作り

昔の写真を整理していると、
想像していた以上に自分の子供の頃の記憶がないことに気づきます。

これ何してる時の写真?
この友達って誰だっけ?とか、
子供の頃の顔が兄貴に似てるな、とか。

色々母に聞きたいことがあふれてきます。

 

几帳面な母のことだから、
病気にならなかったらきっと写真の整理をきっちりして、
そんな話がきっと出来たんじゃないかと思うと。

本当に、残念です。

 

でも、それは絶対に叶わないこと。

 

叔父や父に話を聞き、
写真や資料から分かることを書き出し、
母の年表をつくり、家族写真集を作りました。

 

自己満足だけど、
いま、できることをやった。

 

そして写真集を作るうちに、
最期の5年間闘病して辛かったイメージが強かった母の人生が、
実は思っていた以上に幸せなものだった
感じることができたのです。

 

人生って長い。

きちんと振り返ると、
たくさんの思い出が
こぼれんばかりにあふれ出てくる。

 

私自身、
間に合わなかったことがたくさんあったけれど、
このことを知った方には
違う道を選んで頂きたいと思います。

 

家族写真集に込めた「言葉」

そして、
私しか知らない母のことを写真とともに言葉で残した
「家族写真集」を作りました。

 

どんな母親だったのか、
何をして、何が好きで、
どうやって死んでいったのか。

 

ただの写真だけでは表現できない、
私にしか残せない「言葉」を母に贈る。

これが私から最後にしてあげられる母への親孝行です。

 

出来上がった「家族写真集」を親戚に渡しに行き、
母との思い出話をして過ごしました。

誰かとその写真集を見て話しをする時、
母が生きていた時間が蘇る感じがします

 

ただの自己満足かもしれないけれど、
母への感謝の気持ちを形に出来たことで、
やっと母を亡くしてからの「一区切り」が出来たように思います。

 

母への言葉

思えば母は私たち兄弟のことを考えて、ずっと生きてきた気がします。

専業主婦だったこともあり、ずっと子供中心の生活。
時には口酸っぱくお説教めいたことを言われることもありました。

「悪いことをするとお天道様が見てるよ」とか
「こういうことをちゃんとしとかないと常識ない人と思われるよ」とか。
そして、
「こういうことは親だから言ってあげられるんだからね。」と。

母との会話から多くの影響を受けて育ってきた私たち。

そして、今は母が空から私たち家族を見守ってくれている。

そう思うと、自分の人生を最期まできちんと頑張って生きていこうと思えるのです。

もう一度生まれ変わっても同じ両親から生まれたいと願う。

また会おう、おかあちゃん

 

さいごに

過去を振り返ることは、
「病人」を相手には、やはり出来ません。

 

大事な人の過去を、
楽しみながら・時には笑い合いながら聞けるのは、

元気だからです。

 

また、
亡くなるということは、当たり前ですが、

「何も聞けなくなること」です。

 

最後に
家族写真集作っておいてよかった・・・
という日は、
残念ですが、必ずやってきます。

 

ぜひ、後回しにすることなく、
今いろいろな話を聞いたり、
お話されたりしていただきたいと思います。

 

お元気なうちにお話が叶わなかったとき、
この1冊の家族写真集を通じて、
ご親族の方々と思い出を共有していただければ、
少しは癒しのお時間になるのでは、と感じています。